ピクニック代表PROFILE
昭和46年2月17日生 千葉県在住 身体障害者1種1級(頚髄損傷C6)
岩永 修三(いわなが しゅうぞう)
19歳の時、車でドライブ中にスリップ事故を起こし、生死を彷徨う。奇跡的に一命を取りとめ、家族や高校時代の友人に支えられながら5年間の入院、リハビリ訓練を乗り切り、重度の後遺障害は残ったが社会復帰、安定した大企業に就職する。
事故前までは健常者だったため、車椅子になってはじめて世の中の不便さ、まだまだ日本はハンディキャップを持つ人に優しい社会でないことを様々なことで思い知らされる。
安定した大企業に就職したが、そこでの平凡な仕事内容に自分自身が疑問を抱き、かねてから自分と同じような障害を持った人たちに何か役立つことがしたい、何か自分にしかできないことがあるのではないかと考えていたこともあり、周りの反対もあったが押し切って退職する。
すぐに高校時代からの友人(現在の会社の社長)も自分の考えに賛同してくれて、ボランティアではなく、民間企業として日本のバリアフリー社会の充実をすすめるためにバリアフリーポータルサイト『ピクニック』を立ち上げる。
現在、日本全国バリアフリー情報、福祉機器情報、障がい者と健常者のコミュニティ、各種イベントの開催など、様々な企業を巻き込んだバリアフリー社会の推進に奮闘中。
【小話】
元々前向きな性格もあり、高校時代の友人達の中でも中心的な存在だった。高校卒業後、1年間浪人生活を送るが大学受験を途中で断念し、19歳の5月に就職する。心機一転就職して、わずか4ヶ月後の大事故。19歳という年齢、これからの人生を夢見ていたところに車椅子というだけでなく、手足の自由が一生利かない苦しみ。
自分はもうだめなんじゃないか、人に迷惑をかけるだけの邪魔者なのではないか。。
全てを諦めかけていた。。
そんな時に友人達は誰も哀れみをかけるのではなく、以前と何も変わらない態度で接してくれる。自分は様々な人に支えられていることを知る。時間と共に徐々に本来の前向きさを取り戻し、「自分も人にしてもらうだけではなく、人のために何かしなくては!」と考え方が変わり始める。
その為にまずは、身の周りのことを自分ひとりでできるようにリハビリ訓練に明け暮れた。衣服の着脱から始まり、ベット、トイレ、お風呂への移動、最終的にはまた好きだった車の運転もできるまでになった。
私の友人は皆、車椅子の不便さ、飲みに行っても入れる店が限られる、トイレが無いといった不便さを身をもって知っている。障がい者だけでなく、高齢者やその家族、友人達でこの不便さを感じている人はきっと少なくないはず。。
ピクニックを立ち上げたきっかけは、自分と社長のそうした思いから始まり現在に至る。
将来の目標は、ピクニックが日本の福祉の発展に寄与し、社長をはじめ、今まで自分を支えてくれた多くの友人や家族に恩返ししたいと思っています。

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