バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!
第6弾は、義足の走り高跳び選手でプロアスリートの鈴木徹さんをご紹介したいと思います!
本名: 鈴木 徹
生年月日: 1980/5/4
出身地: 山梨県山梨市
鈴木徹さんは元々中学、高校時代とハンドボール部に所属し、高校時代にはハンドボールプレーヤーとして全国レベルの選手として活躍していました。
卒業式を間近に控えた高校3年の時に、自らが運転していた車がガードレールに激突、鉄の破片が鈴木さんの右足に突き刺さるという大ケガを負ってしまったのです。
緊急手術でいったんは足が縫合されたが、血管も神経も激しく損傷し、膝下に血が通わないため壊死してしまい、手術から一週間後に再び鈴木さんの右足は膝下から11センチを残して切断することに。。
しかし、鈴木さんは右足を切断されたあともハンドボールの夢を諦めきれず、義足にその希望を託し、大学を1年間休学して義足のリハビリのため東京身体障害者福祉センターに入所。そこでスポーツ義足の製作では日本の第一人者として知られる臼井二美男さんに出会い、リハビリの一環で始めた走り高跳びでしたがすぐに頭角を現していったのです。
陸上競技を開始してからわずか3ヶ月で、シドニーパラリンピックの大会参加基準(1m73)を越え、日本人初の走り高跳び選手として出場を果たす。シドニーパラリンピック、アテネパラリンピックでは6位入賞に留まるが、2005年パラリンピックワールドカップ(イギリス)、ヨーロッパ選手権(フィンランド)では銀メダルを獲得。 2006年のジャパンパラリンピックにて2m00をクリアし、日本人初の2mジャンパーに!!
2008年の北京パラリンピックは、左膝の故障で直前まで出場が危ぶまれていたにも関わらず、(1m93)で5位入賞を果たし、次回のロンドンパラリンピックにはメダル獲得に向けて意欲を燃やしています。
また、現在では健常者の一般大会にも出場して入賞するなど、スポーツにおける「バリアフリー」を追求し続けています。どうぞくれぐれもお体に気を付けて頑張ってください。
ピクニックでは、鈴木徹さんの今後のより一層のご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!
ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。
ピクニック代表 岩永修三
鈴木徹さんからピクニック読者の方へメッセージを頂きました!
ピクニックをご覧の皆様、こんにちは。
義足ハイジャンパーの鈴木徹です。
足を失ってから今年で10年が過ぎましたが、当時は、足を失うことへの絶望や先が見えないことで多くの不安がありました。足切断後、義足をつけての歩行訓練は思うように歩くことができず、訓練を投げ出したい日もありました。
しかし、どんなに苦しく、どんなに辛いときでも「義足でスポーツがしたい」という気持ちが消えることはありませんでした。それは、『スポーツ』が僕にとって生活の一部であり、自分が唯一、光り輝けるモノだったからです。
家族や友人をはじめ、多くの方の支えも大きな力となり、大好きなスポーツをできるまでに回復をしました。
走り高跳びの選手として世界へ飛び立つことができた今、足を失ったことへの後悔は全くありません。むしろ、足を失ったことで周囲への感謝の気持ちを実感できただけでなく、本当に自分がやりたいことが見つかったので、僕にとっては良い分岐点になりました。
今後も走り高跳びの選手として1センチでも高いバーを跳べるように頑張っていきたいと思いますので、ご声援のほど、宜しくお願いいたします。
皆さんも自分の好きなことを見つけて、一緒に"後悔しない人生"を歩んでいきましょう!!
鈴木徹
鈴木徹さんオフィシャルHP


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