ピクニック公式サポーターの最近のブログ記事

バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!

8弾は、イラストレーターの須川まきこさんをご紹介したいと思います!

 

 

sugawa.jpg本名: 須川 まきこ

生年月日: 1974生まれ
出身地: 和歌山県

  

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須川まきこさんは、病気により左足を切断するというハンデを負いながらも、広告会社にて書籍の表紙画や挿絵、ポスターデザインのお仕事をする一方で、独特の画風で個性的な作品を制作し、2006年には作品集『Lace Queen』も発表し、個展も多数開催するなど活躍中の方です。

今日は須川さんから直々のメッセージも頂きました。また、須川さんのオフィシャルサイトも下記に掲載しましたので、後ほどごゆっくり作品をご鑑賞下さい。

 

ピクニックでは、須川まきこさんの今後のより一層のご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!

ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。

ピクニック代表 岩永修三

 

 

 

須川まきこさんからピクニック読者の方へメッセージを頂きました!

 

5年前の秋、左足の膝下の悪性腫瘍の為に大腿の切断を余儀なくされ義足生活になりました。

翌年、再発により、あらたに股関節離断の手術を受けました。

病気と重なる再発に怯えながら、また、義足での生活に不安を抱える日々でした。

病気が分かった時は、まさに晴天の霹靂で、リハビリ室で初めて義足を見た時は、ショックを受けました。

自分の体を受け止められず、しばらくの間は精神的に人と会うエネルギーもない時もありました。

 

そんな折、仕事柄、美しいファッション誌を眺めていたのをヒントに、視覚的に受け止められたら、自分の体も受け入れることができるのではと思い、ベットの上で義足の女の子や片足の女の子の絵を、視覚的に美しく描き、そして描いた絵を眺めて、自己の身体を受け入れる事に努めました。

また以前から前衛アート作品を見ていた事もあり、自分の体をあまり嫌いにならないように早く自分の体を受けとめるようにしました。

仕事をしながら、病気の事を忘れる時間を持つように心掛け、周囲の暖かい支えと、励ましの言葉をもらったことで、崖っぷちの様な状況でも希望を捨てないでいられたのだと思います。

友達から大丈夫だという勇気を与えてもらったのが一番の薬でした。

 

今現在も人とのつながりによって、支えられています。もともとなまけものな性格ですが、日々を大事に、私にできる事をできればいいなと思っております。

 

これからも定期的に絵の発表を行ないながら、友達や周囲の方々からもらったエネルギーを私も周りに与えていければいいなと思っております。

 

                             須川まきこ 

 

須川まきこさんオフィシャルHP

http://www011.upp.so-net.ne.jp/makiko/

バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!

7弾は、F1レーサーを目指し、あるレース中の事故で障がいを負い、現在は車椅子ユーザーとして幅広い方面で活躍中の長屋宏和さんをご紹介したいと思います!

 

piroracing_photo2.jpg本名: 長屋 宏和

生年月日: 1979/12/31
出身地: 東京都

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長屋宏和さんがレースを始めたきっかけは13歳の時に、初めて鈴鹿サーキットでF1を見たのが始まりだそうです。あまりの迫力に感動し、すぐにレースを始めるために必要な物を調べ、レーシングカートを始めたそうです。

 

その後、地方選手権、全日本と順調にステップアップしていき、フランスのレーシングスクールに入校。

フランスでレースをしたことで自信も付き、2000年、2001年と日本でホンダF1プロジェクトレース「フォーミュラードリーム」にも参戦。

優勝1回、2位4回、3位1回そしてシリーズランキング3位というすばらしい成績を収めました。

2002年はF3の名門チームから全日本F3選手権にも参戦!数々の好成績を収めて来ました。

 

しかし、2002年10月13日、鈴鹿サーキットのF1の前座レースにて2周目のスプーンコーナーにてまさかの大クラッシュ。。

首の骨を骨折するという大怪我を負い、その一瞬から重度の障がいを背負うことになってしまったのです。

 

事故後は、レースに戻りたいと言う気持ちだけでリハビリに専念し、アメリカへも渡米。

現在の最先端の医学でも脊髄の完全再生は困難と言われる中、3ヶ月間神経再生手術の情報を集め続けたそうです。

 

そんな状況の中でも夢や希望は捨てず、もう一度レースをしたいという強い思いから、2004年には特別に改造したレーシングカートで念願のサーキット走行も成し遂げました!

 

また、レース以外の世界でも、自ら立ち上げた車椅子ユーザー向けファッションブランド「ピロレーシング」のプロデュースをはじめ、本の出版や長屋さんが体験した経験を伝えるために、テレビ出演や講演活動で全国を飛び回っています。

 

長屋さんは常に感謝の気持ちを忘れずに何事にも全力で挑戦し続ける人です。どうか、お体にも気を付けて頑張ってください。

 

ピクニックでは、長屋宏和さんの今後のより一層のご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!

ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。

ピクニック代表 岩永修三

 

長屋宏和さんからピクニック読者の方へメッセージを頂きました!

 

2002年F1日本グランプリ前座レースにて大クラッシュをし、頚椎損傷の怪我を負い、「一生車椅子」と担当医から告げられました。

 

当然、告げられたときはショックでそれまで持っていた「F1ワールドチャンピオン」の夢が途絶え、目標・夢を無くし、それまで当たり前だったことすら出来なくなっていました。

 

しかし、そのことを知っている家族や友人は前向きに居てくれたことで「自分が前向きにならないと皆さんに申し訳ない。頑張らないと。」と思えるようになりました。

 

今は私が頑張り、元気や勇気を伝えていくことが、今こうして事故にあい、車椅子の生活になった使命だと感じています。

 

夢は今でも変えず「F1ワールドチャンピオン」です。車椅子だからレースが出来ないけれど、夢はでっかくて手が届かないから夢!夢があることで自分が前向きに居れるのであればそれで良いと思います。

そして小さくても些細なことでも目標を作り、その目標をクリアーしたときに自分の自信になり、成長出来、夢に近付いていけることが自分の成長につながると思います。

 

簡単に諦める夢は夢ではないと思います。思えるでっかい夢を持つことが自分の成長につながると感じます。

                                   長屋宏和

 

長屋宏和さんオフィシャルHP

http://www.piroracing.com/

バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!

6弾は、義足の走り高跳び選手でプロアスリート鈴木徹さんをご紹介したいと思います!

 

 

DSC 081.jpg本名: 鈴木 徹
生年月日: 1980/5/4
出身地: 山梨県山梨市

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鈴木徹さんは元々中学、高校時代とハンドボール部に所属し、高校時代にはハンドボールプレーヤーとして全国レベルの選手として活躍していました。

 

卒業式を間近に控えた高校3年の時に、自らが運転していた車がガードレールに激突、鉄の破片が鈴木さんの右足に突き刺さるという大ケガを負ってしまったのです。

 

緊急手術でいったんは足が縫合されたが、血管も神経も激しく損傷し、膝下に血が通わないため壊死してしまい、手術から一週間後に再び鈴木さんの右足は膝下から11センチを残して切断することに。。

 

しかし、鈴木さんは右足を切断されたあともハンドボールの夢を諦めきれず、義足にその希望を託し、大学を1年間休学して義足のリハビリのため東京身体障害者福祉センターに入所。そこでスポーツ義足の製作では日本の第一人者として知られる臼井二美男さんに出会い、リハビリの一環で始めた走り高跳びでしたがすぐに頭角を現していったのです。

 

陸上競技を開始してからわずか3ヶ月で、シドニーパラリンピックの大会参加基準(1m73)を越え、日本人初の走り高跳び選手として出場を果たす。シドニーパラリンピック、アテネパラリンピックでは6位入賞に留まるが、2005年パラリンピックワールドカップ(イギリス)、ヨーロッパ選手権(フィンランド)では銀メダルを獲得。 2006年のジャパンパラリンピックにて2m00をクリアし、日本人初の2mジャンパーに!!

 

2008年の北京パラリンピックは、左膝の故障で直前まで出場が危ぶまれていたにも関わらず、(1m93)で5位入賞を果たし、次回のロンドンパラリンピックにはメダル獲得に向けて意欲を燃やしています。

 

また、現在では健常者の一般大会にも出場して入賞するなど、スポーツにおける「バリアフリー」を追求し続けています。どうぞくれぐれもお体に気を付けて頑張ってください。

 

ピクニックでは、鈴木徹さんの今後のより一層のご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!

ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。

ピクニック代表 岩永修三

 

 

鈴木徹さんからピクニック読者の方へメッセージを頂きました!

 

ピクニックをご覧の皆様、こんにちは。

義足ハイジャンパーの鈴木徹です。

 

足を失ってから今年で10年が過ぎましたが、当時は、足を失うことへの絶望や先が見えないことで多くの不安がありました。足切断後、義足をつけての歩行訓練は思うように歩くことができず、訓練を投げ出したい日もありました。

 

しかし、どんなに苦しく、どんなに辛いときでも「義足でスポーツがしたい」という気持ちが消えることはありませんでした。それは、『スポーツ』が僕にとって生活の一部であり、自分が唯一、光り輝けるモノだったからです。

 

家族や友人をはじめ、多くの方の支えも大きな力となり、大好きなスポーツをできるまでに回復をしました。

 

走り高跳びの選手として世界へ飛び立つことができた今、足を失ったことへの後悔は全くありません。むしろ、足を失ったことで周囲への感謝の気持ちを実感できただけでなく、本当に自分がやりたいことが見つかったので、僕にとっては良い分岐点になりました。

 

今後も走り高跳びの選手として1センチでも高いバーを跳べるように頑張っていきたいと思いますので、ご声援のほど、宜しくお願いいたします。

 

皆さんも自分の好きなことを見つけて、一緒に"後悔しない人生"を歩んでいきましょう!!

                                    鈴木徹

 

 

鈴木徹さんオフィシャルHP

http://suzuki-toru.com/

バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!

第5弾は、車いすのシンガーソングライター森圭一郎さんをご紹介したいと思います!  

purohu2.jpg本名: 森 圭一郎
生年月日: 1978/1/9
出身地: 埼玉県

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森圭一郎さんは元々小さい頃から活発で音楽好きな少年でしたが、中学に入るとバンド活動の傍ら、一方で地元の不良グループ仲間と問題ばかりを起こしていたそうです。

16才で暴走族に入り、暴走族の集会の時にバイク事故で下半身不随の大ケガをしてしまい、その時一生車椅子生活と告げられたことで、それまでとは正反対の引きこもり生活を送っていた時期もあったそうです。

その後、母親が定時制高校の入学を勧めたことで、仕方なく受験をし、合格したものの嫌々ながら通い始めたところ、友人が少しずつ出来、その仲間とバンドを結成。改めて音楽に触れ音楽に目覚めていったそうです。

「音楽の力なら、あの時のようにまた自分を表現できるかもしれない」と、そこから長い音楽の旅がスタート。21歳の時に東京に行き都内のライブハウスや、ストリートで歌うようになり、同時にバーテンダーのアルバイトをしながらその店で弾き語りなどをして、24歳の時に見事にオーディションに合格!!「朝日新聞」、「文藝春秋」にも取り上げられ、順調にアーティスト活動を続け、25歳の時にマネージメント事務所ピュアハーツに所属するが、25歳の夏に壁にぶつかります。

16歳から車椅子生活をしていたため、経験値の不足から全く曲が書けなくなってしまったそうです。そこで自分の引き出しを増やす為に、自分の限界に挑戦するために、車いすの身でギター1本を抱え、北海道~鹿児島、約10,000kmの『ONEツアー』を行う。また、アメリカ同時多発テロの現場のグラウンドゼロを間近で見てストリートライブを行ったりと、旅をしながら創作活動をしてゆくというアーティストスタイルを徐々に見出し、それらを『唄ツーリズム』と銘打ち、現在も日本中を周り、ライブ活動を中心に、ラジオパーソナリティや、講演会、自叙伝の出版など精力的に活動を行っています。

現在行っている『唄ツーリズム2007~2009』というツアーは、約200局近くある全国のコミュニティFMを、全局ゲスト出演を目標としたツアーだそうです!!くれぐれもお体には気を付けて頑張ってください。

ピクニックでは、森圭一郎さんの今後のより一層のご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!
ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。

 

ピクニック代表 岩永修三

 

森圭一郎さんからピクニック読者の方へメッセージを頂きました!

ピクニックをご覧の皆様こんにちは!!
森圭一郎です。
 
僕は16才の時バイク事故で車椅子の生活になりました。
それから21才の時に東京に行き一人暮らしを始め、
25才の時にプロのシンガーソングライターになりました。
 
今では年間200日の旅、100回ほどの演奏をしながら活動してます。
 
はっきりいって、車椅子になる前より、今現在の方が大きな幸せを感じます。
 
なぜか?それは今大きな目標があるし、とにかく好きな事をしてるから。
歩いていた頃よりも今の方が歩いているし、走り続けてます。
問題は体ではなく心の持ちようなんですね。
 
僕もたまに落ち込む事があります。
落ち込む事もあっていいと僕は思います。
 
冬を知らずに花が咲かないように、落ち込み深く考える時間も必要な時間です。
落ち込む時も気分がいい時も両方楽しむようにし、いつか大きな花を咲かせるように輝ある毎日を過ごしています。

                                   森圭一郎

森圭一郎さんオフィシャルHP
http://keiichiro.com/

バリアフリー社会の推進に賛同するピクニック公式サポーターをご紹介!

第4弾は、皆さんご存知の方も多いと思いますが、詩人・画家の星野富弘さんです。

星野富弘さんは今から40年程前に中学校で体育教師をされていましたが、学校の体操部の指導中に宙返りの模範演技で失敗してしまい頭から落下。首の骨を骨折して首から下の機能がすべて麻痺する頸髄損傷という重傷を負われてしまいました。

それまでは人一倍運動することが得意だった星野さんが、たった一度の宙返りの失敗で、その日以来9年間にもおよぶ想像を絶するような長い入院生活を送ることになってしまったのです。

しかし、入院中に何度も生死を彷徨う中でも前向きに生きようと、口にくわえた筆で絵を書くことで、わずかに少しずつ生きがいを見いだされました。

退院後は群馬県の故郷に帰って、口にくわえた筆で詩を添えた水彩画など数々の作品を創作し、それらの作品が多くの人に感動や勇気を与え、中学校の教科書にも作品が掲載され、1991年には富弘美術館が開館するまでになりました。現在までの入館者数はついに500万人を越え、現在は全国各地やハワイ、ニューヨークなどで「花の詩画展」が開催されています。

以前に、テレビ番組の中の星野さんの話でとても印象に残っている言葉があります。
星野さんは笑顔で『今は、あの時にケガをして本当に良かったと思っています。』とテレビカメラの前で話されていました。
本心からそう言えることって本当にすごいことだと思います。
私もいつか本心からそう言えるように頑張りたいと思う。

 

ピクニックでは、星野富弘さんの今後のご健勝と更なるご活躍を心から応援しています。また、様々な試練を乗り越え現在社会で活躍されている方々を応援します!ハンデを持ちながら社会で活躍する方々をもっと世の中の人たちに知ってもらい、障がいをお持ちの方々や、健常者の方々に少しでも勇気や希望を与えることに寄与していきたいと願っています。お体にも気を付けて頑張ってください。

 

ピクニック代表 岩永修三

 

富弘美術館オフィシャルHP
http://www.tomihiro.jp/